花火 2

土曜日の夜。

駅での待ち合わせ時間だけ告げられて、どこに行くのかもわからぬまま列車に乗って

着いたのは武州。

鈍行列車に小一時間ほど揺られただけなのに、そこは全く違う世界に感じられた。

建物も、人々も、風も、草木も、空も。江戸とは違う匂いがする。

普段、江戸から出ることがほとんどない僕にとってはそれを感じられるだけでもとても幸せな気分になる。

土地勘があるのか、駅を出てから迷わず歩をすすめる土方さんとは対照的に

きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていくと、ゆったりと流れる川が視界に入った。

「この辺りでいいだろう。」

そうつぶやいて土手の中程に腰を下ろした土方さんの隣に、少しだけ間を空けて、

ちょこんと体育座りで座ってみる。

早番だったという土方さん(真選組の就業体系がどうなっているのかわからないけれど)の仕事か終わってから来たので、

ちょうど西日がゆっくり、ゆっくりと落ちて行くところだった。

水面が橙に染まる様に目を奪われているふりをして、こっそりと隣に座っている人の横顔をのぞいてみる。

いつもの隊服でなく、黒い着流しを着た土方さんの表情は心なしか緩んでいるように見えた。

それが服装のせいなのか、この場所のせいなのかは、判別しようがないけれど。

 

陽が落ちると同時に、急速に全ての色が消えて行き、辺りは闇に覆われて行く。

自分を含めた全てのものが黒く染まって行き、まるで世界と自分とか切り離されたような感覚に陥る。

歌舞伎町では、そうはならない。太陽が隠れるのを待ちきれないように煌々と灯りが灯り、賑やかな、

ときには騒がしくさえ思う色とりどりのネオンや、夜を生きる人々の呼び声が街中に溢れてきて、

昼間よりも明るいのではないかと思ってしまう。

だからこんな暗闇は、初めてだった。

隣に居た筈の土方さんの黒い髪が、着物が、瞳が、広がっていく暗がりに飲まれて消えていくような錯覚を起こし

思わず近くににじりよったところでその闇を揺るがすような轟音が辺りに響いた。

「うわっ!」

「始まるぞ。」

その声に促されて頭上を見上げると、ひゅるひゅるひゅると甲高い音が消え、

火薬の匂いが花をかすめると同時に空に大輪の花が咲いた。

「…わあ!!」

暗がりの中で輝く、光の花。

大きな花がひとつ、ひとつ。音と共に浮かんでは消え、浮かんでは闇の中にとけ込んで消えて行く

。そうかと思うと花が咲いていた場所に今度は光の輪が広がり、空を明るく照らす。

やがてそこには光のシャワーが降り注ぎ、赤や緑、青、紫と色を変え、

一面に広がって行く様子はまるで巨大なクリスマスツリーのようだと思ってしまった。

「すごいーーー!!!」

ツリーの残滓が消えないうちに頭上にはまた花が、今度はいくつもの花が同時に咲き始めた。

こんなに近くで、こんなに鮮やかな花火を見るのは初めてで。

ひとつも見逃せないとばかりに真上を向いていたら首に違和感を感じ始めた。

まあずっと真上を見上げてればそうなるよな、と思いつつもそのまま空を見上げていたい気持ちが強くて、

首をおさえて見ていたら急に横からぐい、と手を引っ張られた。

不安定な体勢はあっさり崩れて、そのまま後ろに倒れ込む。

「うわっ!?な、何するんですか!!」

「寝っ転がって見た方が楽だぜ。」

引っ張る前にそう言ってくださいよ!と思えど口には出せず、いつの間にか横になっていた男に倣って

草の上に寝そべり、仰向けになった。すると、一気に視界が広くなり、夜空に包まれたように感じる。

その中央に生まれる花火は、まるで自分に向かって迫ってくるかのよう。

ぐんぐんと近づいて来て、その光に飲み込まれるかと思ったところでふっと暗闇に散って行く。

今まで何度も花火を見て来たけれど、それは今まで味わったことのない感覚で。

まるで自分が世界の中心にいるかのように感じられた。

こんなにいい見方があるならもっと早く教えて下さいよ、と冗談半分に文句を言おうとした。

でも、声にならない。何でもいい、何か言おう、として、でも言葉が出てこない。

だって、さっき引っ張られた手がつながったままであることに気がついてしまったから。

そこから伝わってくる土方さんの体温を意識してしまって、

僕の体温も同じように伝わっているのかと思うと急に恥ずかしくなって、言葉が紡げない。

だって、こんなにドキドキしてる。

どうしようもなくなって、土方さんの方に顔を向けた。

ちょうど一際明るい花火が揚がっていき、僕らを照らして消えて行った。

その光の中に照らし出された土方さんの顔は、同じように僕の方を向いていて、

そして一瞬のことだから見間違いかもしれないけれど、照れているように見えた。

 

程なくして音は止み、僕らは再び闇に包まれた。

花火が始まる前よりも、濃く深い夜の帳。ほんの少しも離れたら、見えなくなってしまうような。

…だからという訳ではないけれど、僕は土方さんの手を離さなかった。

土方さんも僕の手を離さなかった。

ぎゅ、と、力を入れられた気がした。

僕もぎゅっと、握り返した。

先ほどまでの光と音の渦が嘘のような、静かな、静かな暗闇の中。

繋がった手を通して、土方さんがすごく近くに感じられた。

いや、むしろ土方さんの存在しか感じられずに、まるで僕たち二人が世界から切り離されてしまったかのようだった。

 

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