秋桜

「…着いたぜ。」

そう言って、助手席に座っている黒髪の少年に声をかける。

が、彼は窓の外の光景に目を奪われていて土方の声など耳に入っていないようだった。

「すごいいいい!!!」

そう言うが早いか、車の外に飛び出して行く。土方はそれを見ながらやれやれ、と言った様子で後に続いた。

車の外、そこは一面の秋桜畑。車がやっと通れるほどの道路を除いて色鮮やかな秋桜に埋もれていて、まるで地平線の果てまで続いているかのような錯覚を覚えるほど。

新八が初めて見る光景に心奪われているその横で、土方は刀を取り出し、秋桜の海の中に飛び込むとザクザクと音をたてて斬り始めた。

土方の方を見遣る新八の目に微かな不満の色が浮かぶが土方は見なかった振りをする。

 

そもそも、なぜ土方と新八が一緒に秋桜畑に来ているかにはもちろん理由がある。

「栗子が秋桜を欲しがっている。」

久々に屯所に来た松平片栗虎は開口一番、そう告げた。

「欲しがっている」=「持ってこい」であることをわかっている土方は、そんなくだらないことでいちいち真選組を使うなと思いつつ、

近くにいた隊士に適当に見繕うようにと命じた。この男は一度言い出したら聞かないのだ。

とにかく早く済ませよう。

そう思って全く他意なく言った台詞だったのだが、それが娘馬鹿の警察庁長官の癇に障ったようだった。

「オイ土方、適当にったあなんだ、適当にとは。栗子のお願いを適当に流して 

 いいとでも思ってんのか、アァ?テメェが心を込めて用意してこい!」

もう一度言う。この男は言い出したら聞かないのだ。

他にやることはいくらでもあるのだがこうして多忙な副長自ら車を走らせること1時間、秋桜を集めに来ることとなった。

 

新八を誘ったのにも大した理由はなかった。ちょうど万事屋の仕事が終わった頃だろうと電話をかけて呼び出した。

往復2時間足らずの車中でも一緒に居られればいい。そう思っただけだ。

(…こんなに喜ぶなんて、な)

目の前の光景に惚けている新八の様子を好ましく思いながらも、土方は無言で花斬りを続ける。

新八はしばらく何も言わずに秋桜畑を見つめていたが、やがてそれだけでは飽き足らなくなったのか、自身も秋桜の中に飛び込んだ。

秋桜は、意外に背丈が高い。その合間から、黒い髪だけが垣間見えていたが、やがて新八はすっぽりと花畑の中に埋もれて消えてしまった。

それはまるで、深い海の中に沈んで行くかのよう。

「オイ、あまり遠くに行くなよ…。」

しかし土方は大した注意を払わず、一言だけ声をかけるとまた花斬り作業に没頭した。

 

「これだけありゃあいいだろう…。」

四半刻ほど花を斬り続けた土方の足下には、恐らく両手一杯でも抱えきれないほどの秋桜の束が横たわっていた。

もう陽は傾きかけていた。

くだらない用事に時間をとられたことに苛立ちを覚える。新八と一緒に居られたのはよかったが、屯所に戻ればまだ机の上には仕事が山積みなのだ。

「新八、帰るぞ。」

其処にいるはずの新八に声をかけるも、返事はない。耳をすましてみても、聞こえるのは風に揺れる秋桜のざわめきばかり。

「オイ、新八。どこだ?新八!」

何度かの呼びかけの後、それでも何の返事もないことに焦りを覚えた土方は花畑の奥へと走り出す。

秋桜を必死でかき分けながら、目を凝らし、黒髪を探す。

当てはない。けれどじっとしていられなかった。さっき、花の中に融けて消えて行くように見えたのは錯覚ではなかったのか。

新八は何処へ行ってしまったのか。

辺りを覆う秋桜の鮮やかさに今頃気がついた。その艶やかな色合いが醸し出す雰囲気が、より一層不安を煽る。

 

「うわっ!」

「イタッ!!」

嫌な想像が土方の頭をよぎったそのとき、土方の足は何かにぶつかって盛大に前につんのめる。

同時に聞こえた耳慣れた声に振り返ると、秋桜の間から痛そうに頭をさする新八の姿が微かに見えた。

「何してんだ、お前…?」

土方の声には隠しきれない苛立ちが混ざる。それも当然で、まさか迷子になったのか、それとも秋桜畑の中に消えてしまったのではないかと心配して探したのに、

こんなところにしゃがんで隠れているなんて。

「…。」

二人の間に立つ秋桜の壁の向こうからは沈黙が聞こえる。土方は秋桜越しに新八をじっと睨みつけた。

「何やってんだ、お前は!急に居なくなったら心配するだろーが!」

しかし、当の新八はまるで悪びれずにさらっと応える。

「隠れてたんです。」

「ハァ?」

「隠れてたんですってば。」

「何でンな事してんだ…。」

「ほら、秋桜綺麗でしょ?」

会話の流れを無視してそう言うと新八はにこりと笑った。そして、その笑顔の横で揺れていた秋桜を掴み、土方の顔に近づけてくる。

「だって土方さん、こーんな綺麗に秋桜が咲いているのに全然見てないんですもん。だから僕が隠れたら、その、探そうとして花畑をちゃんと見てくれる 

 かなーって…。」

言い出しは威勢がよかったが土方の表情を見てだんだん悪いことをしたと思ったのか、最後の方には申し訳なさそうな顔をしていた。

「…帰るぞ。」

それだけ言うと、土方は新八に背を向けて早足で車の方へと歩き出す。

「あ、あの、怒っちゃいました?そんなに、本気で心配させるつもりじゃなか

 ったんです…。…ごめんなさい…。」

項垂れつつ、土方と離れないようにと後を追ってくる新八はもはや駆け足になっていた。

そんな新八の方を振り返らずに、土方は秋桜畑を一気に横切り道路まで戻った。

「土方さん!」

そう言いながら新八も道路に上がり、黒い背中に向かって呼びかけると当の土方は急に後ろに向き直り、勢い良く新八の方を掴んで隣に立たせた。

そして新八の体を反転させ、二人して秋桜畑の方に向き直る。

「お前を捜してる時に、花を見る余裕なんてある訳ねーだろ。」

(むしろ、お前を隠す障害物にしか見えなかった。)

ぶっきらぼうに言い放つと、新八はまた申し訳なさそうな顔をする。自分が言ったことでありながら、

そんな顔をさせてしまったことに自分もちくりと傷ついた。

違う、新八を責めたかったのでなく、一緒に見られればよかった。そう言いたかった。なのに、実際に形になったのは文句だけだ。

後に続く言葉が思い浮かばない。沈黙のまま土方が運転席に戻ると、一瞬遅れて新八も助手席に乗り込む。

気まずい空気のまま土方が車のキーを回してエンジンをかけると、その無機質な音に紛れないようにはっきりした声で新八は言った。

「じゃあ、今度また観に来ましょう!仕事でもなくて、かくれんぼでもなくて、

 花を観に!。」

「?」

唐突に何を言い出すのかと怪訝な顔を浮かべるが新八は気にしない様子で続ける。

「もう一回、一緒にちゃんと観に来ましょう。そしたら、きっと綺麗ですよ! 

 …そういうことですよ、ね?」

お前は何で言ってないことが分かるんだろうな、とその妙な勘のよさに苦笑しつつも、土方は短く「そうだな」とだけ答え、車を走らせはじめた。

その表情は一見無表情のようでありながら、実は穏やかに笑っていることに隣の少年は気付き、自身もくすりと笑みを浮かべた。

 

 

END   

                                                                                  Presented by Rayri Minazuki on 2. Jan.2010

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